2006年 初夏

筑波山

祖父ヶ峰歩道--女体山--護摩壇道

2006/05/21

御幸ヶ原から望む男体山

昨日、5月20日土曜日は風が強く天候も不安定で時折雨がぱらつき、しかも気温が高く湿度も高かった。
とても蒸し暑く感じた一日だったが、ちょうど次女朋子の通学する千葉県立佐倉高等学校のPTA総会にあたり久しぶりに我が母校を訪れた。佐倉高校山岳部時代に私の一年上級生だった内田美津江さんも私と同じようにPTAの理事をしている。総会の後の懇親会で須田校長や前PTA会長で細谷ミート社長の細谷さんそして内田さんと大いに盛り上がり、少しばかり呑みすぎたようだ。
それでも、今朝は4時半に目が覚め敦子と共にフォレスター号に乗り込んだ。
今日は事前にどこを登るかを考えていなかったので、朝食の弁当を買うために立ち寄った筑波山の山ろくにあるコンビニの駐車場で地図を広げて思案する。
その結果決めたのは次のコースである。
筑波山の北面にある筑波高原キャンプ場から「祖父ヶ峰歩道」を登って女体山へ至り、下山は「護摩壇道(ごまだんみち)」をたどって筑波高原キャンプ場へ戻るというものである。

5月21日(日) 晴れ

まずは、筑波高原キャンプ場にたどり着かなければならないのだが、筑波スカイラインから筑波オートキャンプ場、筑波国民宿舎経由でのアプローチを選択した。これは失敗だった。荒れた林道を走らされ時間をくった。桜川市の羽鳥から入るのが正解だろう。
ようやくたどり着いた筑波高原キャンプ場は道標の表記では裏筑波野営場となっている。
ここはキャンプサイトに車を横付けにするタイプのいわゆるオートキャンプ場ではなく、山の斜面に作られたキャンプサイトへ駐車場から自ら荷を背負って登っていかなければならない。それだけに団地の駐車場のようなオートキャンプ場とは一線を画した素晴らしい環境を持つ三ツ星のサイトがあちらこちらに散在する。サイト自体は大きなテーブル状の木製の台が用意され、展望のよいこともあってこんなところでキャンプしたら最高の一夜が約束されることであろう。
敦子も
「わー、キャンプしたいなぁー」
と思わず歓声を挙げたくらいである。
そのキャンプ場の中を「祖父ヶ峰歩道」は女体山へ続く。キャンプ場内にある指導標の表記は「リクリエーションの森遊歩道」であるが営林署の案内板によれば「祖父ヶ峰歩道」である。そしてその指導標は女体山まで1時間と表記している。
キャンプ場の最上部から山道に入るが、道自体は関東ふれあいの道に位置づけられているので、整備は行き届いている。土留めの丸太なども適度に配置され、草払いもされているので不安なく歩くことができる。時折登山道が左右に分かれることもあるがどちらを登っても途中で合流するので問題ない。
脳内にエンドルフィンが心地よく分泌されるまでは、いつもの通り少しばかり辛い。汗も噴き出る。
8時16分、腰掛けるのに手ごろな石が二つあったのでこれに腰掛けることにして休憩。
時折、遠くに人の声が聞こえる。下山してくるハイカーかとも思ったがいっこうに下ってこない。後でわかったのだがすでに女体山の山頂に近いために観光客の声が聞こえてきていたらしい。
再び歩き出す。エンドルフィンが程よく分泌されるようになったせいか、歩行は格段に楽になりどこまでも歩いていきたいような高揚感すら感じる。
突然、女体山直下の遊歩道に出た。エンドルフィンによる高揚感に酔っていただけに、ある意味失望すら感じた。
女体山の山頂に立つ。さすがに湿度が高いので、少しばかり霞がかかっているが予想通りの大展望。空気の乾燥した澄み切った冬であれば富士山までくっきり望むことができるのだが、初夏ともなれば湿度で見通しが悪いのも致し方ない。
女体山から一旦御幸ヶ原へ下る。
御幸ヶ原のベンチで湯を沸かし、敦子は玄米茶、私はトリップコーヒーを飲む。
御幸ヶ原から望む男体山の山腹は新緑の盛りで、緑の盛り上がりに生命の迫力すら感じるほどだ。
護摩壇道へ入るためには一旦女体山直下まで登り直し、そこからロープウェイ沿いに下り、途中から左の急斜面を下っていくことになる。左へと入る踏み跡を見過ごさぬように注意深く下っていく。
女体山直下からしばらく続く急峻な岩場が一段落した標高875m地点で左の笹薮に下っていく踏み跡があることに気がついた。トラロープで入り込まないように遮断されているが護摩壇道はこれだろうと思って下り始める。2分ほど下ってポンプ小屋にたどり着いた。この踏み跡はポンプ小屋のメンテナンス用のもののようだ。そしてこのポンプ小屋から水をくみ上げて御幸ヶ原の茶屋の水を賄っているのだろう。ポンプ小屋の先にも浅い沢沿いに道が下っているのでそれに従って標高差65mほど下ると右手から明瞭なトレールが合流してきた。標高720mである。おそらくこれが護摩壇道の正規ルートではないかと思い、この右から合流してきたトレールを稜線まで登りなおしてみることにしてみる。標高差35mほど登ると稜線に合流。合流地点は稜線上の755m地点。下り口を頭の中に充分に記憶させ、再び720m地点まで戻り、浅い沢伝いにさらに下っていく。
しばらくは水の流れがない、沢筋であったがまもなく水が流れ始めた。
標高680mまで下ると微妙なT字路。カギ型に右へトレールは沢沿いに下っているのだが、よく見ると直進方向にもトレールがある。直進方向はちょうど山腹をトラバースするような形になっているので、これが護摩壇道にちがいないだろうということで直進する。
五分後に右手に護摩壇を見る。大きな岩がいくつも重なり、その一角に洞窟のようになった場所があって、その中に石碑が安置されている。ここで護摩を焚くのであろう。
さらに下っていく。
標高600m地点で沢を横断する。ふと沢の横断地点から下を見るとケルンが二基ある。そして傍らの木に「中沢ケルン」の標識。この中沢ケルンからトレールは少しずつ登り始める。やがてトレールは水平に山腹をトラバースし始め15分ほど歩くと突然、明瞭なトレールにでた。「祖父ヶ峰歩道」に戻ってきたのである。高度計の表示は575m。
2時間半ほど前にここを通過して女体山へ向ったのだが、この分岐点には気がつかなかった。あらためて分岐点の様子を確認してみると路傍の岩に消えかけたT字の印があるのみ。このT字の印もよほど注意していないと見落としてしまう。
ほかに目印になるものはないかと探してみると立ち木に「←」型の鉈目がある。
ここから5分ほど下っていくと筑波高原キャンプ場の上端へたどり着いた。キャンプ場の駐車場にとめてあるフォレスター号に帰着したのは10時30分だった。


筑波高原(標高490m)キャンプ場7:35
女体山(標高877m)8:30
御幸ヶ原(標高790m)着8:45
御幸ヶ原発9:05
女体山直下9:16
ポンプ小屋下降点(標高785m)9:28
護摩壇(標高660m)9:48
中沢ケルン(標高600m)10:02
護摩壇分岐点(標高575m)10:19
筑波高原キャンプ場(標高490m)10:30


整備された「祖父ヶ峰歩道」


愛用のザック


女体山山頂


ポンプ小屋


標高755m地点の護摩壇道への分岐点


護摩壇


中沢ケルン


「祖父ヶ峰歩道」から護摩壇道への分岐点の石


護摩壇道への分岐点にある鉈目

筑波高原キャンプ場