2005年秋

東北の桃源郷
飯豊連峰 湯の平温泉

フルムーン湯治紀行

2005/9/23--25


今年の秋のお彼岸の三連休に女房と泊りがけで山に行くことになった。というか女房が付き合ってくれることになった。
当初は夏の雪辱戦ということで会津丸山岳を考えていたが、台風17号が接近中なので、水害の影響がほとんど出ないコースに変更。
めざすは2年前に谷川さんが教えてくれた東北の桃源郷 飯豊連峰湯の平温泉「湯の平山荘」。ここに二泊してのんびりしようという魂胆なのである。
そういえば、女房と二人で泊りがけの外出をするというのは子供が生まれてから初めてのことになる。11月には結婚20年を迎えるから、フルムーン湯治といってもいいかもしれない。

9月23日(金) 曇り時々晴れ

前夜23時ころに四街道を出発したのだが、途中橋の下で仮眠をとり、最寄の新発田市内のスーパーマーケットで買い物をするなど、あくせくしないでのんびり現地へ向かう。
今回は入下山が楽で、しかも定着形式なのでザックの重量をさほど気にする必要はない。舞茸、シメジ、キャベツ、ゴボウ、にんじん、長ネギ、こんにゃく、厚揚げ豆腐、ベーコン、漬物、佃煮、納豆、日本酒、焼酎、缶チューハイとたくさんの食料を買い込んだ。
目的地の加治川治水ダムサイトに到着したのはちょうど正午、自宅を出てから13時間後だった。
ダムサイトの先にも林道は通じているのだが、通行禁止のゲートがある。従ってここからザックを背負い林道を歩き始める。
すでに彼岸というのに蒸し暑く、蚊やブヨがまだ多い。半ズボンからむき出しになった足をたくさん刺されてしまった。
8.7kmもある林道は確かに長いのだが、女房とおしゃべりをしながら歩いていると楽しく、さほど苦痛を感じない。途中で横切る沢の一つで腰を下ろしラーメンを作って昼食にする。空は晴れ渡り、初秋の稜線がはるかかなたに見えている。林道には栗や栃の実がところどころに散らばって秋を感じさせる。
3時間かけて林道の終点に到着。
林道の終点から山道に変わり、トレールはブナの森の中をほぼ水平に続いていく。10月の黄葉の時期にはさぞかし風情のあることだろう。右手は深い渓谷になっており遠くから水の流れる音が聞こえてくる。
しばらく水平に続いていた山道は一時間ほどすると急下降してつり橋に達し、大きな枝沢を渡って対岸で斜面を登りなおす。一昨年はこの沢と本流の合流点付近で谷川さんたちと岩魚つりをしたなぁと懐かしげに見入る。つり橋から山道は少し険しくなり始め40分ほど行くと深い谷の奥に煙がたなびいているのが見えた。煙のたなびいていることで山小屋が近いことを知る。絵にかいたような理想的な山小屋との出会い。
湯の平山荘には先客が3パーティーほどいて、それぞれ二階に陣取っている。私たちは一階に荷物を下ろす。
さっそく小屋の炊事場に引き込んである泉でノドを潤す。炊事場では岩魚を焼いていた。35cmを超えるような大きな岩魚が三匹。うまそうな香りが漂ってくる。
私達も気持ちの良いテラスで夕食の準備だ。私はチタンのマグカップに日本酒をなみなみとついで、あぐらをかき、料理を始める。女房が野菜を切る。大きなコッフェルにきのこと野菜のたっぷりと入ったトン汁を作る。白いメシ、漬物、昆布の佃煮なども並べられた。薄暗くなってきたのでランタンを灯す。
女房はウメッシュ、私は日本酒で乾杯。うまい、食が進む。
食後は、ドリップコーヒーを飲みながら女房のおしゃべりを聞く。楽しく過ごすうちに気がつくともう20時だ。後片付けをして露天風呂に行くことにする。
この露天風呂が野趣満点。
ヘッドランプを灯し、ランタンを手に下げ、サンダル履きになって闇夜の山道を露天風呂まで歩く。湯の温度もちょうど良く、湯煙でランタンの明かりもにじむ。
風呂から上がって寝袋の上であぐらをかき日本酒を呑む。明日は何をして遊ぼうか。小屋から稜線へと向かう尾根の途中まででも往復してみようか、などと話してランタンの灯を消した。

9月24日(土) 曇りのち雨

夜中に雨音がしていた。起きてみると雨はあがっているが、雲が低く流れている。小屋のテラスのコンクリートも濡れているので、薄暗い屋内で、昨夜の「野菜たっぷりトン汁」を温めなおし朝食。
朝食を食べていると二階に宿泊していたパーティーが「うちら帰りますから、二階へどうぞ。二階は畳もあるし天国だよ」と声をかけてくれた。食後さっそく二階へ移動。
窓の近くに畳を敷いて、折りたたみテーブルを出し、ウレタンシートとマットレスを敷く。
一段落してから谷川さんが教えてくれた小屋から40分ほど沢を遡った淵まで行って岩魚釣りをすることにした。
沢装束になって女房の分の釣竿も持って小屋を出る。
小屋から沢へ降り立ち、河原を100mも進むと泳がなければ突破できない淵に出た。水量が多いようだ。水温を計ってみると14度と決して冷たくはないが、ネオプレーンのタイツを履いていない。
胸まで水に浸かりながらヘツリ、後ろを振り返って女房に言う。
「そこで待っててね」
女房は浅瀬のスタンスに立ってうなずいている。
身を乗り出して先を窺うが、泳ぎは免れないようだ。あっさりあきらめ戻ることにする。
「戻ろう」
「うん」
といいつつ、未練がましく淵の流れ出しで数回仕掛けを流してみるがあたりがない。
小屋に戻って別の遊びを考えることにして小屋へ向かう坂道を登っていく。この坂道にはミズがある。谷川さんが教えてくれたものだ。夕食用に3株ほど採取していく。
小屋に戻ってみると地元の二人だけが残っている。話し声を聞いているとどうやら2年前に小屋で一緒になり、ヒレステーキをご馳走になった人のようだ。遠慮がちに声をかけてみるとやはりそうだった。
舞茸とりに来たのだと言う。天然の舞茸など見たこともないが、その舞茸を一株持ってきて、私たちのテーブルに置き
「水で洗ったらダメだ。香りがなくなっちまう。木屑が気になるなら刷毛で払い落とすんだ。これを食ったら八百屋の舞茸なんて食べられない。天婦羅にするとクルミみたいな味がするよ」という。
このようにくつろぎながら話していると雨が降り始めた。雨脚も強い。台風の影響だろうか。小屋から稜線へ向かう尾根を途中まででも登ってみようかと思っていたが、やめることにした。
雨の日に小屋にいるのはうれしいものだ。
日本酒をちびりちびりと呑んでいるからさらにうれしい。
馬鹿飲みしているわけではないけれど2リットルの日本酒パックも残り少なくなってきた。いとおしむようにちびちび呑む。
女房は眠ってしまった。
私もいつの間にか眠ってしまった。
薄暗くなってから目が覚めた。しばらくボーっとしながら降りしきる雨を見る。谷間の低い位置をガスが流れ、小さなルンゼは滝となっている。暮れつつある山深い雨の渓谷は薄墨の水墨画のようである。
長ネギやらキノコなどの材料を継ぎ足しチーズを加えてトン汁を再加熱し、夕食にする。
焼酎の一升パックの封を切る。女房はレモン缶チューハイ、私は麦焼酎で乾杯。
話が弾む。
食後はお茶を飲み、風呂に入って就寝した。

9月25日(日) 雨のち曇り

昨日よりも一層雨脚が強くなった。台風の影響だろうか。舞茸をくれた地元の二人は9時前に小屋を出発して行った。多量の舞茸が入ったお買い物袋をぶらさげて、家路についたのだ。
私達も念入りに掃除をして9時48分に小屋をあとにする。雨は強いが気温が高いので、体が温まったら蒸し暑く感じるだろう。雨具は着ないで歩き出した。
10時半ころ北股川にかかるつり橋に到着した。
今回はほとんど釣りらしい釣りをしていない。女房にここで待ってもらいほんの少しだけ釣りをすることを承諾してもらった。立ち止まっていると寒いので女房はゴアテックスの雨具を着た。私は橋のたもとからトラバースし、フィックスロープをつかみながら岩場をクライムダウン。良いポイントを探しながら本流を少し上がる。女房は立ち上がって私を見ているが、私が岩を回りこんだので見えなくなった。アプローチの数歩が少し深いが絶好のポイントがある。少し興奮気味にへそまで水に浸かりながら岩場へ這い上がった。
2,3回竿を振ったところで糸が絡まった。糸の絡みをほどこうと竿を手元に引き寄せた。すると強い水の流れの音に混じって小さく笛の音が聞こえるような気がする。
「?」
耳を澄ます。
どうやら女房が笛を吹いているようだが、吹き方が尋常ではない。息もほとんどつかずに、切れ目なく狂ったように吹き続けている。
「どうしたんだろう。私の姿が見えなくなったくらいで、このような笛の吹き方はしない。熊でも出たのか?」
仕方なく竿を仕舞い、女房のいるほうへ戻る。岩を回り込んでつり橋の見える位置まで戻ると女房が河原に立っている。のんびりと現れた私を見るなり、女房は
「落ちたー」と声をはりあげる。落ちたとは何だろう?カメラでも落としたかなくらいに思っていると支流の上部を指差して
「人が落ちたー」と言う。
見ると橋の下の河原に何かがある。この瞬間に私の顔色は一変した。あってほしくない事実がそこにある。
事態を察知し、時計を見る。10時44分。
過去何度が遭遇した墜落現場を思い出した。救出したこともあるが即死のこともあった。いそいで事故者に近づいた。
年配の男性である。
顔を近づけ大声をかけるが応答はない。浅い呼吸を細かく続けるだけだ。
下半身が水流に浸かっている。顔を横に向けているが顔面に広く血がついているのがわかる。耳の周辺にも血がついていたので、耳の中から出血しているのかと一瞬絶望するが、よく見ると顔面の血が付着したものだということがわかりほっとする。
さて、頭と脊椎だ。頭部にも二箇所出血が見られるが頭蓋骨が大きく割れているということはなさそうだ。ただし脳にどのような損傷があるのかはわからない。
ロープやハーネス、カラビナ、スリングなどを持っているので橋のたもとまで引き上げることは可能だが、滑車のない状態では相当な苦労が予想される。そして、それにも増して事故者を大きく動かすこと自体があまりにもリスキーだ。
とはいっても、下半身が水に浸かっており少なくとも水からは引き上げなければならない。
離れたところで呆然と立ちすくんでいる女房を呼び寄せ、二人で抱きかかえるように静かに用心しながら水から引き上げる。
女房に
「ヘリコプターを呼ぼう」といってしばらく女房の顔を見る。
そして女房の目をみながら
「どうする?」と聞いた。
事故者の厳しい容態では、救助を呼びに行っている数時間のうちに息を引き取る可能性もある。女房を付き添いに残して息を引き取る場に立ち合わせるのも気の毒に思う。最寄の連絡の取れる地点である加治川治水ダム管理事務所までここから通常の足で4時間ほどで、道も平坦で安全だ。それで、お前が救助を呼びに行くかという意味で「どうする?」と聞いたのだ。
女房は意味を察して
「お父さんが行って」という。
「じゃあ行ってくる」と言い残して山道まで這い上がり、転落箇所を見る。平坦な場所で、ここから落ちたとはにわかには信じがたかった。
つり橋を渡ってデポしてあるザックから財布と車のキーだけを持ち出し、女房の姿が見えなくなる直前でもう一度振り返って女房を見る。
「行って」というように女房は手を上げた。私は大きくうなずいて山道を登り始めた。
林道の終点に他の登山者や舞茸とりの地元の人がいることを祈りながら走った。よしんば人はいなくとも自転車があることを祈った。カギを壊してでも自転車に乗るつもりだった。
林道の終点にはバイクが一台あるきりでそれ以外には何もなかった。だれもいなかった。さすがにバイクはカギがなければ動かない。あきらめて林道をたどる。
8.7kmの林道の途中で自転車やバイクに乗った人に遭遇することを祈りながら走った。結局ダムサイトの管理事務所にたどり着くまで誰一人としてすれ違うことはなかった。
11時30分、ダムサイト到着。管理人の方に事情を話し警察へ電話してもらう。
発生時刻、発生場所、墜落距離、事故者の状態、推定年齢などを手短に伝えほっとする。
ダムの管理人の二名の方は、私をいたわってくれる。おせんべいをいくつか食べ、お茶を飲んで一息ついた。事故者はいったいどうなったであろうか、そして女房はいったいどうしているだろうか。
現場へ戻りたいと管理人の方に伝えると、緊急事態なので林道のゲートを開けてくれることになった。
11時45分。現場周辺の見取り図を書き残し、現場に戻るために立ち上がった。管理人の方が林道ゲートのカギを持って先行する。ところがカギがなかなか開かない。15分後にやっとゲートが開き、私のスバルフォレスター号を林道に乗り入れる。雨後で路面もすべり慎重に運転していく。林道の終点までたどり着いた。ローターの風圧で落石が起こるかも知れないのでヘルメットを持って現場へ向かった。無理がたたったのか、しばらくして足がつり始めた。足を引きずるようにして現場の直前まで来たところでヘリコプターの爆音が遠くから聞こえ始めた。
早い、すばらしく早い。
しばらく周辺を旋回しているのが樹林の間から見えていたが、赤いゴアテックスの雨具を着た女房を発見したようである。ヘリがホバーリングをはじめたのと私が現場にたどりついたのはほぼ同時だった。
事故が起こってから3時間15分後。
私が救助要請に向かってからは3時間が経過していた。
その3時間の間の一部始終を女房に記述によって振り返ってみたい。

私がつり橋の袂で釣りに興じる主人を待っていると、鈴の音が聞こえ、登山者がやって来た。
50歳代後半か60歳位か、恰幅のいい男の人が
「このつり橋を渡るともう少しですか」と尋ねてきた。どうやらあの温泉にいくようだ。
「そうですね。もう少しありますけど、お気をつけて」と見送った。
つり橋を渡り終わった直後、体が右に左に大きく揺れた。
「あっ、転んだ」と思ったとたんに転落していったのだった。何の抵抗もなく頭と背中から落ちたようだった。一部始終を見た私は
「うそでしょ、こんな所で。あれ、動かない。大変だ。急いで主人に知らせなきゃ」と思い、羽織っていた赤いゴアテックスに袖を通しながら彼を見た。
しかし彼はまったく動いていないようだった。
ザックから笛をはずし、首にかけ、笛を吹きながら橋を駆け渡り落ちたところから7〜8メートルの先の所から川へ降りた。
なおも吹き続けた。そして「お父さん!お父さん!」と叫び、笛も吹き続けた。
すると、主人がひょっこり現れた。のん気に。
それからは記述の通りであるが、主人が救助に向かってから彼の様子は、依然意識のない状態が続いていた。そばでただ彼を見守るしかなかったが、そうするうちに苦しそうにしていた息が少し落ち着き、目を開いたのだった。
「大丈夫ですか」と聞くと浅く頷いた。
「痛いところはないですか」また頷く。
「今、助けを呼びに私の主人が向かってますから」と告げると目をつぶった。雨が小雨になってきた。顔は血で汚れ折からの雨で真っ赤になっていた。出血は大量ではなく頭の後ろからのようだったので、彼が首に巻いていたタオルを取って川で洗い、顔をそっと拭いた。すると目を開けたのでもう一度
「大丈夫ですか」と聞くと頷き、
「わかりますか。お名前は言えますか」と言うと
「A」と答えた。
「Aさん?」と聞くと頷く。あーよかったちゃんと意識がある。少しほっとした。声は弱々しかったがしっかり答えた。少し動こうとして左手を動かしたので
「痛くないですか」と言うと左足も少し動かし
「痛くない」と言う。しかしそれ以上は動けない様子で
「帰りはどっちですか」と言う。
「あっちですよ」と橋の方を指差すとそちらの方をボーッと見た。そしてまた目をつぶった。再び目を開けたとき
「眠っていた。」と言う。時々目を覚まし、時々手足が動く。左手には時計をしているので右利きだろうと思うが右手があまり動かないようだ。足も左ばかり動く。先程より少し水かさが増えたようだ。腰近くまで水がきたので
「もう少し頭の方へ上がれますか」というと左手を伸ばし、ひっぱって起こしてほしいと言う。両手を持ってそおっと起こす、大丈夫だと言う。また動こうとするのだが背中が痛いと言う。大振の岩につかまり立ち上がろうとしたのだ。
「ちょっと待って」と言い、そのままじーっとなる。
「横になりたい」そおっと寝せてあげる。それを数回繰り返す。出血して汚れた顔を時々タオルで拭いてあげると
「ありがとう」と言ってくれる。年齢を聞くと
「50いくつ」と言う。
「いくつって何歳」と聞くと
「53」と答える。年齢よりももう少し上の歳に見えたので、もしかしたら頭を打っているので今の年齢ではないんじゃないかと思い
「昭和何年生まれ」と聞くとすぐに
「27年」と答える。あっている。
「地元の人?」と聞くので千葉から来たことを告げ、
「Aさんはどちらから?」と聞くと
「□□。△△県の□□」と言う。
「バイクか自転車で来たの?」と聞くと
「車で来た」と言う。ダムに車を置いて林道は歩いて来たんだ。疲れていたのかしら。だからふらついて転落を。しばらくして
「よくここに来たね」と言う言葉に、私は自分の看護をしてくれているということについて言っているのかと思い
「落ちるところを見ていたので、すぐここに来た」と言ったのだが
「覚えていない」と言う。落ちたことは記憶から抜けているらしい。千葉からよく来たという意味だった。ただ
「救助を待っているからがんばって」と声をかけ励ますしかなかった。水がまた少し増してきた。岩の向こう側に行って、砂利の所まで行けると水に浸らずにすむのだが、とても動けそうにない。背中が痛くてじっとしていられない様子だ。足だけは良く動くらしく、ずりずりと川の深いところへ行ってしまう。何度か寒くないかと聞くが寒くないと言う。何度も目をつぶって
「休ませて」と言うが、
「耳が聞こえない」と言ったりもする。いよいよ水かさが増えて、寒そうにぶるぶる震えだした。ひざ下まで水に漬かっている私までも少し寒くなってきた。どうやら震えが止まらないので、ここの水から脱出して砂利のところまで行かなければいけない。
「どうしたらいいの」と言うので、思案の末
「岩の向こう側へ行ってAさんを水に浮かばせて、流れに身を任せてくれれば私が両手を引いていくので、じっとしていてほしい」と言った。なかなか理解しにくいらしく、何度か休み休み
「どうしたらいいの」と聞くが、やっと解ったらしく
「起こして」と言う。ゆっくり体を起こしてあげて、足を岩の向こう側へまたがせるようにし、くるくると回りながら岩を超えられ、横たわった状態であとは流されるがまま、万歳の格好で手を引いたのでとりあえず水から逃れることができた。砂利の平らなところまで着くともう寒くないと言う。ひとまず時計を見ると午後1:40。私は持っていたメモとペンをウェストポーチから取り出し名前と年齢を書いた。しかし仰向けになっても、横になってもつらいらしく起こしてくれと左手を伸ばしてくる。
「つらいね。助けはもう少しだからね」と言ってそっと起こすと、
「背中をたたいてくれ」と言う。静かにたたくと
「ありがとう」と言って、また
「休ませてね」と言って目をつぶる。目を開けたとき
「寝ていた。温泉はどっち」と言うので
「あっちだけど、Aさんは転落して怪我をして動けないから、今、救助を待ってるの」と言ってもあまり理解していないようだった。こんなに動かしても大丈夫かとも思ったが、救助がいつになるか分からない状況で、水に漬かって低体温になる危険を考えると仕方なかった。何の医療の知識もない私が出来ることは、後はただ励ますことだけだった。するとどこからかヘリコプターの音がした。下流からだ。と同時に橋の袂に主人の姿を発見した。跪いて岩にもたれかかっているAさんに興奮しながら救助が来たことを告げ、私は立ち上がって大きく手を振り続けた。

残念ながらAさんは病院で亡くなられた。
私には、Aさんが神の国に受け入れられるよう、聖母マリアにとりなしを願うことしかできなかった。