2005年夏

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我が家の夏山合宿

南会津・奥只見・尾瀬

2005/8/13--8/18

恒例の我が家の夏山合宿がやってきた。
今年はドイツのケルンで行われる世界青年の日(ワールドユースデイ)へ敦子が参加しているために不在で、家族四人による合宿だ。
さて、「どこへ行くか」というよりも、「どういう夏山合宿にするのか」ということがまずは第一だけれども、今年は「原始系の夏山合宿」ということで計画を練った。
原始系?・・・情報量の多い山域よりも情報量の少ない原始性の残る山奥で、山登り本来の醍醐味をたっぷりと味わいつくそうという計画だ。
南会津のやまふところ。
ブナの原生林。深い深い森に覆われた山がある。ものの本には秘峰中の秘峰とある。
その名は会津丸山岳。
皮肉にも人造物であるダム湖が人の手による開発を阻み原生林が守られたという秘峰を今年の我が家の夏山合宿の目標山岳として出発することになった。

8月13日 曇り時々晴れ 田子倉ダム

前夜、大急ぎで会社から帰宅し、パッキングを完了して四街道をフォレスター号で出発したのは23時。首都高の小菅ジャンクション付近における事故渋滞で東京を抜けるのに3時間かかり、おまけに東北自動車道はお盆の帰省渋滞のダブルパンチ。
こりゃいかんとばかりに東北自動車道を鹿沼で降りて、20年近く前に上田さんに教えてもらった「クライマーの獣道」と私が勝手によんでいるいつもの間道をひた走るが、今市を過ぎたところで4時15分になってしまった。田子倉ダムをわたるためにチャーターした渡船の予約時間は4時30分なので船主の酒井さんに電話を掛けて事情を説明する。
結局、田子倉ダムのダムサイトに到着したのは自宅を出てからなんと10時間後の午前9時。・・・もう少しでヨーロッパ直行便でパリに着いてしまうほどの時間がかかったことになる。完全にグロッキー状態。
人影のないダムサイトの駐車場の片隅に車を止める。
すっかり夜の明けた田子倉ダムは灰色の低い雲を湖面に映し、すぐにでも雨粒が落ちてきそうな雲行きである。ダムサイトの駐車場のあちこちには水溜りがあってアスファルトもしっとりとぬれており、明け方まで雨が降っていたことがわかる。
北陸、信越から南東北にかけてはここのところ大雨が続いている。道中で垣間見る河川は真茶色に増水していた。
白戸川といえば、昨年の遭難事故の記憶も生々しい。白戸川に入山中の幕営中の四人パーティーが豪雨にともなう土砂崩れに遭遇。下半身が埋まった一名は生きていたが、残りの三名は避難。翌朝戻ってみると死亡していたという痛ましい事故だった。
小雨の中で昼食を済ませ、沢支度を整えて渡船を予約をしていた酒井さんに電話をしてダムサイトの駐車場まで、迎えにきてもらう。
軽トラックでやってきた酒井さんは、田子倉ダムの直下で只見川に注ぎ込む小戸沢の水量が尋常ではないという。
小戸沢を見るとコーヒー牛乳のような濁流である。確かに渡渉は論外。
「もう一日、待ったほうがいいと思う」との酒井さんの忠告を素直に受け入れることにする。
「じゃあ、明日の朝四時半にまた・・・」と約束して酒井さんを見送る。
ところで田子倉ダムの奥地に入るためには船をチャーターしなければならないが、チャーターのためにインターネットで検索してたどり着いたのが、この酒井さんという方であった。この酒井さんは電話では、名前も名乗らないなど愛想というものがほとんど感じられない応対でとても心配していたが、実際にあってみると素朴な感じのする良い人でほっとした。
今回は二日しか予備日を見込んでいないのだが、まぁ仕方がないということでせっかく履いた沢タビを脱ぎ、車に乗り込む。
さてどうしようということだが、まず、今夜のねぐらとなる場所を見つけて、テントを張ってそれから温泉に行こう!ということになった。
テントは下山の時に使用する黒谷川林道の周辺の広場が良かろうと目星を付けて、立派に舗装された沼田街道から脇の細い道へ入る。
しばらく進むと人家が途切れ、そのうち砂利道となった。さらにしばらくすると窓の外にたくさんのアブが飛び回り始め、盛んに窓にぶつかってくる。飛ぶスピードも早く乱舞する。これが有名なメジロアブかぁと感心しながら見とれる。キャンプに好適な水場のある素敵な広場もあるのだが、このメジロアブの大群ではとてもキャンプする気になれない。
路面が次第に荒れ始めたこともあって半ばでUターン。もと来た道を戻りながらキャンプ地を物色するが、相当下った人家に近い下流部でも、適当な空き地に車を止めた途端にアブがやってくる。黒谷川周辺でのキャンプは一旦あきらめて、温泉に行くことにする。
沼田街道を伊南村方面へしばらく走ると公営の温泉がある。設備の整った立派な温泉である。一風呂あびてから、軽い食事ができるのでおいしい蕎麦などをいただいた。
休憩室の窓からは曲屋が見える。曲屋というと岩手県のイメージが強いが、ここ南会津には多くの曲屋が残っている。伊南村から只見町にかけてそれは顕著で、21世紀の日本で時間が止まってしまったような錯覚さえ覚える。曲屋の見える休憩室で昼寝をする。
陽が傾き始めた頃、只見駅方面へ戻り、地元のスーパーマーケットで嗜好品などを買い入れ、適当な空き地にテントを張る。
只見町はとても小さな町で信号機も二つしかない。JRの只見駅も一日に往復4本の列車しか通らない。
そんな只見町の夜に一軒だけ営業していた「和風レストランまほろば」
素直と私はかつ重、朋子は穴子一本揚げ天丼、女房は焼き魚定食。おいしかった。
テントの中は寝苦しいほどに蒸し暑く、着の身着のままで寝についた。明日は2時半起床である。

8月14日 雨のち曇り 田子倉ダム--奥只見ダム--袖沢林道

夜半から土砂降りとなった。この雨では支度もままならないので、とりあえずぬれたテントをルーフボックスに押し込んで、JR只見駅の軒下に避難。真っ暗な未明に軒下で雨宿りしながら朝食を摂る。
かなり強い雨なので、軒下にいてもしぶきでぬれるほどである。待ち合わせの時間が近づいたので薄暗い中をダムサイトまで車を走らせる。ガスがあたりをおおい雨脚は一層強いようだ。この雨では計画変更は免れないなぁとあきらめ半分という感じである。
ダムサイトに車を止め、待っていると酒井さんがやってきた。
「とても残念ですが今回は中止にしたほうがいいですね」と酒井さんも言う。
「そうですね。そうしましょう」と答える。
酒井さんは軽トラックの窓越しにお辞儀をしながらガスの中に消えていった。
予備日を一日消費してしまったので、当初の計画をこのまま継続することはできない。さて、どうするか。
白戸川の中・上流部からの避難路である袖沢乗越から白戸川に入り会津丸山岳を往復するプランであれば、二泊三日で可能である。問題は袖沢の渡渉である。これだけ雨が降ったのだから袖沢の渡渉も無理かもしれない。しかし渡渉地点は林道沿いなので退却も容易だし、停滞するにしても安全である。
そう決心するとさっそく奥只見ダム方面へとハンドルを切る。
ザーザー降りの雨は桧枝岐にたどり着くまで続いたが尾瀬の沼山峠へ続いている道を分岐する頃には止み、奥只見ダム下の売店に到着した。
パラソルのあるテーブルと椅子。全員でソフトクリームを食べる。
ここから袖沢林道へ入る。入り口がわかりづらい。一般車は通行止めなのでザックを背にして整備された舗装路を歩き始める。一旦、只見川の河畔まで下降し、ダム下の鉄橋で只見川本流を渡り、荒れた袖沢林道へ入っていく。時折薄日も差すのだが蒸し暑い。見下ろす袖沢は茶色く濁っており渡渉できそうにない。
短いトンネルをくぐって、すぐに大きな土砂崩れ箇所があり、慎重に超える。
さらに進むと林道には雪の塊がのこっており驚く。ここは標高600mそこそこしかないのにである。
袖沢乗越へ続く沢の出合に到着した。袖沢乗越へ続く沢はとても小さいもので、林道からはブッシュが視界をさえぎっていることもあり、ややわかりづらい。ザックをおろして、ブッシュを掻き分け袖沢本流をのぞく。渡渉できるかできないかの微妙な水位である。ひょっとすると流されるかもしれないし、無事に渡れるかもしれない。万全を期して、林道にテントを張って、一日待つことにする。
防虫ネットをかぶっていないと発狂してしまいそうな位にアブがまとわりつく。ヒッチコックの映画「鳥」のようである。
そういえば仲間の谷川岩魚師匠から
「防虫ネットをかぶっていれば、虫さんもムシー」とのメールを頂戴し、パソコンの前で大笑いしたことを思い出した。
なんというジョーク。私も谷川岩魚師匠を見習って笑い飛ばすことにしたいが、子供達はテントの中に入ってでてこない。
メッシュパネルのおかげでテントの中は安全地帯。食事などはテントの中でするので、アブの被害にあわずに済むが、排便だけはテントの中でするわけには行かない。便意を催したが、しばらくは我慢する。しばらくたってブッシュの中に入り意を決して尻を出してかがんだ。その瞬間に金玉にメジロアブがいっせいにたかって何匹かが金玉を刺した。とても排便どころではない。ギャーといって立ち上がった。便も引っ込んでしまった。
「ギャー、虫さんはムシー」と叫びながらテントの中に逃げ込む。メッシュのパネルを空けた瞬間にテントの中にメジロアブが入った。全員でメジロアブ退治に必死になる。皆殺しにして数を勘定したら30匹も入り込んでいたようだ。タープの内側をみると雲霞のようにメジロアブが飛び回っている。テントの中で鳴りを潜めていると30分ほどでアブも退散したようだ。静かにテントの外に出てタープの下の銀マットに寝転び焼酎を呑む。
メジロアブの襲撃パターンをあれこれ考えてみる。
水汲みのために林道を20m歩くとアブが襲撃してくる。テントの張り綱を調整していると襲ってくる。ところが銀マットに寝転んで静かに焼酎を呑んでいてもアブはやってこない。
どうやら動くものに反応して襲撃してくるようにも感じられる。
日の暮れるまでとろとろと焼酎を呑み続ける。このまま雨が降らなければ明日には袖沢も多少は減水するだろう。雨の降らぬことを願いながらランタンの灯を消した。

8月15日 雨のち曇り 袖沢林道--戸倉

まだ、減水しない。
しばらくグズグズしていたらまたもや雨が降り始めた。林道の上流方面から埼玉県のパーティーが下ってきた。彼らも袖沢の渡渉ができないので、上流に弱点を求めて登っていったがやはりダメだったのであきらめたという。
雨はさらに強くなる。土砂降りになり始めた。
未練がましくグズグズしていた私だったが、これできっぱりあきらめることができた。
「みんな、撤収して尾瀬に行くぞ!」
防虫ネットをかぶって雨の中の撤収。辛くないといえば嘘になろうが、反面ほっとしたというのも偽らざるところだ。
ぬれた装備で膨れ上がったザックが重く肩に食い込む。足早に歩き始める。
アブがワンワンとうなりながら飛び回る。袖沢林道には只見川合流点近くにトンネルがある。このトンネルをくぐるととたんにアブがいなくなる。不思議なトンネルだ。かなり強い雨に打たれながら歩いていると雷もなり始めた。
フォレスター号へ帰り着き、エンジン始動。乾いた衣類に着替えてほっとした。
さて、尾瀬だが幾つかのコースが考えられる。今回は最も一般的なコースである鳩待峠から入山して大清水へ下ることにしてひとまず沼田を目指す。
途中小出町のホームセンターのコメリで不足装備を買い足し、高速道路に入って日のくれる頃沼田に入ることができた。沼田のバーミヤンで夕食をとり、コインランドリーで汗にまみれた全ての衣類を洗濯を済ませた。
朋子も素直もフカフカでいい匂いの洗濯物に大喜びだ。
戸倉では路肩にテントを張り一夜の宿とした。

8月16日 晴れ時々曇り 戸倉--鳩待峠--至仏山--鳩待峠--山ノ鼻--見晴十字路

起きて、空を見ると青空が覗いている。やっと雨から開放されたのかもしれない。
さて、これからの三日間の計画は次のようなものだ。
第一日目は鳩待峠から至仏山を往復してから尾瀬ヶ原に下り、見晴十字路で幕営
第二日目は見晴十字路から燧ケ岳を往復
第三日目は見晴十字路から尾瀬沼を経て大清水へ下山
尾瀬には父も母も来たことがあって、敦子も高校一年生のときに来たことがある。我が家で尾瀬に来たことがないのは女房と朋子と素直の三人である。
今日は、ウイークデイなので鳩待峠まで一般者乗り入れ可だった。鳩待峠に車を止め、ナップザック姿で至仏山に向かう。至仏山の往復に4時間20分ほど費やしたが時折ガスは去来するもののおおむね天候は良好で、美しい高山植物を愛でながら申し分のないトレッキングを楽しむことができた。
鳩待峠まで戻って大きなザックを背負い、尾瀬ヶ原へと下っていく。花のシーズンが終わったウイークデイということもあって、人の少ない尾瀬ヶ原では、池塘に映る空の色もすっかり秋めいているように感じられる。
竜宮を過ぎると見晴までは、ほど近い。まっすぐな木道の先に山小屋が見えとても遠くに感じるが30分で到着することができた。過去に尾瀬小屋と第二長蔵小屋に宿泊したことはあるが、尾瀬での幕営は始めてである。
キャンプ指定地へ行ってみる。清潔な水洗トイレと手入れの行き届いたテントサイト。下地には石ころはなくやわらかい土の地面でところどころに白樺や樅の木などの潅木が茂ってサイトを区切っている。
キャンプ指定地の入り口には環境省の大きなビジターセンター棟があって、蛇口をひねれば冷たくておいしい水を得ることもできる。燧小屋で支払う管理料金は一人800円と高めだが、これだけ気持ちの良い管理が行き届いているのであれば納得だ。
びしょぬれのテントとタープが見る間に乾いていくのがうれしい。少しばかり蚊がいるのが気になるが蚊取り線香を持ってきているので大丈夫。テントの外で寝転がり焼酎をちびちび呑みながらくつろいだ夜を過ごすことができた。

8月17日 晴れ時々曇り 見晴十字路--燧ケ岳--見晴十字路

朝起きてみると曇り空で燧ケ岳方面は雨雲に覆われているようである。燧ケ岳への登山は無理かも知れないので、尾瀬沼にでも行こうかとのんびりしていたら陽が差し込んできた。どうやら大きくくずれることはなさそうだ。10時近い時刻となってしまい出発時間としては遅いが予定通り燧ケ岳を往復することにする。標高差300mを稼ぐごとに15分の休憩を入れることにして出発。
尾瀬沼へ向かう木道から左へと分かれ広葉樹林帯の中のゆるい登山道をしばらく登り続ける。登山道は豊富な湧き水でぬかるんで歩きにくいが、荷が軽いのでつらくは感じない。少しづつ傾斜が強くなり始める。標高2,100m付近で森林限界となり一気に高度が上がっていく。小雨もぱらつき始めたが本降りにはならないようである。ガスの中で燧ケ岳に到着。
こういった状況下でも子供とは面白いものである。落ちているものを見つけるのである。登山者が捨てたゴミだったり、虫だったり、カエルなどの小動物だったりする。
それを
「あ!変なものみっけた」と素直が拾う。
「ナニナニ?いいなぁー」と朋子が覗き込む。
山頂ではきれいなガラスの塊を見つけた。大事そうにポケットに入れる素直。テントに戻ってわかったことだけれども、このガラスの塊は素直自身が持っていた双眼鏡のレンズだったので、笑ってしまった。
16時20分無事、見晴のテントに戻ることができた。往復6時間20分の程よいトレッキングだった。子供達は原小屋の前のベンチに腰掛けてお汁粉を注文する。私はワンカップのお酒。ベンチに寝転んで青空を見上げながらおいしいお酒を呑む。
そして女房子供達は第二長蔵小屋の売店でショッピング。
夕食はイワタニプリムスの岳食というブランドのカレー。軽量コンパクトでなかなかいい。少しコクが足りないので、コンソメでも加えればおいしくいただけるだろう。
明日はいよいよ下山である。

8月18日 晴れ時々曇り 見晴十字路--尾瀬沼--大清水

7時半に撤収を終え、出発。
樹林帯の中を緩やかに登っていく。幾つかの沢を横断しながら木道をたどって行くので水場には恵まれている。朝一番ということもあって1ピッチで順調に白砂峠に到着。ここから尾瀬沼に下っていく。
沼尻の休憩所も人影はまばらで、湖面を渡る風はすでに秋の風なのか冷たくすら感じられるほどである。体が冷えてしまうので、休憩も短く済ませ立ち上がる。
ところどころで小さなアップダウンを繰り返していくと広い湿原の向こうに長蔵小屋が見える。岩魚の泳ぐ小川を渡ると沼山峠からの道が合流し、程なく長蔵小屋の建つ広場に到着した。
環境省のビジターセンターのほかにも幾つかの建物が建ち並んでいる。トイレは新しく建て替えられており、洗面所には大理石風の仕上げで、とても豪華だ。女房も驚いている。
長蔵小屋の売店できゅうりを売っていた。冷たい湧き水の流れる桶につけてある。味噌付で一本100円。一本買って四人で食べることにした。パリパリと食べるみずみずしく冷えたきゅうりは、パリパリと歯ごたえがあってとてもうまい。
子供達はさらに大福餅を買って食べた。
さらに30分ほど歩いて三平下の分岐点。ここの食堂で昼食。それぞれラーメンや蕎麦、おでんなどを食べる。
最後の緩やかなゆるい登りで三平峠。休憩もしないでそのまま大清水へと下っていく。木道が整備され下りだが、苦労はない。小一時間ほど下ると林道に出て一之瀬の休憩所。ここで冷えたトマトを食べたり、ジュースを飲む。あとはのんびりと砂利道となった林道を楽しくおしゃべりしながら歩く。
大清水で、女房子供たちを待たせ、私は鳩待峠に駐車している車をバスでとりに行く。戸倉での接続もまずまずで一時間半後に、大清水へと戻ることが出来た。戻ってみると女房子供たちは大清水小屋の風呂で汗を流し、座敷でゆっくりしていた。
私もさっそく風呂にはいる。小屋の人の接客も感じがよく、小さな家庭用の風呂だがとても気持ちが良い。
帰りは首都高の渋滞を嫌い、金精峠から日光を経て栃木へ抜けてかえることにした。
菅沼の休憩所ではオショロコマの塩焼きに舌鼓をうち、今市の正嗣では餃子をたべ、通いなれた「クライマーの獣道」を走って家路についた。



参加者:賀来素直、賀来朋子、賀来幸子、賀来素明