2004年夏

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奥秩父 一ノ瀬川本流

2004/7/25

この一週間、猛烈な暑さが続き水曜日(7月21日)には千葉市の最低気温が31.5度。最高気温ではなく最低気温が31.5度とは最低の夜だったことは言うまでもない。日中の暑さも格別のもので県内では40.2℃を市原で記録した。
一ヶ月前から計画していた家族での山登り。ゴルジュの泳ぎを想定して準備をすすめてきたが、この暑さは突然の雷雨に用心すればゴルジュ泳ぎには最高の気象条件と言えるだろう。
目指すは多摩川源流地帯のゴルジュ。丹波川本流あるいは一ノ瀬川本流である。
なお、残念ながら素直は塾の為お留守番。

7月25日 晴後雷雨

丹波川本流の遡行開始地点となる三条新橋には朝6時半に到着してしまった。ゴルジュ泳ぎを余儀なくされるので気温が上昇してからでないと寒くてたまらない。9時頃の到着でも良かったのかもしれない。
三条新橋から丹波川を見下ろすと水嵩が低いように見える。ここのところ晴天が続いているので水量が減っているのだろう。この水量なら一ノ瀬川はベストコンディションだろうということで、遡行対象を一ノ瀬川本流に決め入渓点である一之瀬川橋にほど近いおいらん淵へ行く。
おいらん淵の供養塔の脇に駐車させようとすると女房が
「気色の悪いところだから車を止めるのはやめようよ」
という。おいらん淵の伝説については女房子供たちには話していない。話すと怯えて絶対に行かないと言い出すに決まっているからだ。伝説を知らないのに気味悪がるとはやはり何かあるのかもしれない。
それではということで一ノ瀬林道の大常木谷下降点まで車を走らせる。下降点にはすでに2台の車が止まっており満車状態だったので50mほど下流の広場に車をとめる。車内で食事など準備を整え8時に出発する。
次女朋子に浮き輪を持たせる。こんな山の中の林道を浮き輪を持って歩く朋子。長女の敦子がそれを見て笑う。みんなで笑う。朋子も一緒になって大笑い。
林道は舗装された緩い下り坂なので歩きやすく30分ほどで一之瀬川橋まで戻ることができた。さっそく橋の袂から一ノ瀬川本流へ下る。下りついたところで新調したネオプレーンのタイツを履き、渓流足袋を履く。
ネオプレーンタイツを履いたお互いの姿を見て娘達が
「みにくい人魚だぁ」
とまたもやゲラゲラ笑い転げる。よほど可笑しいらしい。
準備が整い9時に遡行を開始する。

しばらくはどうということのない沢である。バシャバシャと水の中を渡ったり左右の露岩の上を歩いたりしながら進んでいく。水温が高い。
腰まで浸かる水などにキャーキャーいいながら小一時間ほどいくとやっと釜が現れた。やや左寄りをロープを曳きながら少し泳ぎ、越える。まぁ難しくはないというか簡単だ。敦子は二年前に、増水した西丹沢の小川谷でザックをフロートにして泳いだ経験があるが、女房と朋子は始めてである。従って朋子がキャーキャーいう。それにつられるようにして敦子と女房が笑う。
この釜からしばらく行くと本格的なゴルジュになり始めた。すなわち両岸が垂直あるいはオーバーハングになってそそり立って逃げ場はなく、幅の狭い廊下状を水がとうとうと流れている典型的なゴルジュになってきた。ガイドブックにある「奥秩父最大級の大ゴルジュ」が始まったようだ。深くて薄気味悪いがそういうところは流れがゆるく泳ぎやすい。
ヘルメットを脱ぎザックを敦子に預けて
「おぼれかけたらロープを曳いてね」
と意を決して廊下内の淵へと進んでいく。最初は足が底についていたが、まもなく深くなった。左の壁の小さなホールドを伝いながらアゴまで水に浸かって水流に逆らってトラバースしていく。途中でホールドがなくなり側壁はツルツル。仕方なしに泳ぎ始める。流れがあるのでなかなか進まない。しかも廊下は長い。平泳ぎで必死に泳ぐがばててきた。やばい、このままでは力尽きておぼれてしまう。力の残っているうちにバック。
皆のところまで戻ってゼイゼイ息をする。
思えば私が子供の頃はプールというものがなかった。町にも小学校にも中学校にも高校にもなかった。近場で唯一あったのは自衛隊の下志津駐屯地内のプールだけ。
町営のプールができたのは小学校6年になってからだった。そんなこんなで泳ぎは不得意で50m泳ぐのがやっとというありさま。それに引き換え、我が家の子供達はかつて四街道田園スイミングクラブのメンバーだったので、平泳ぎはもちろんクロールやバタフライもできるほどに泳ぎが達者である。
本当は彼女らに泳いでもらいたいくらいだが、そういうわけにもいかない。
朋子が持っている浮き輪を借りて再トライ。浮き輪は水の抵抗が強く体が前に進みにくいが体が浮くので微細なホールドでもレストができる。少しずつレストしながらゴルジュの奥へと進んでいく。いよいよホールドが皆無となり壁を蹴って必死で泳ぐ。それでも流れに抗しながら体は少しづつ進み側壁のガバホールドに手が届いた。やったー。振り返ってみんなに手を振る。女房子供達が歓声をあげている。
ゴルジュ出口の段差の上に立って浮き輪を下流へと流す。浮き輪には下流からもロープがつながっているので引き戻しも楽だ。逆に引き戻し用のロープがないと浮遊物は淵の渦にのって淀みに停滞してしまい下流へと流れていかないことも少なくない。
敦子が浮き輪にのろうとしている。ザックを背負っているので浮き輪をかぶるわけにもいかず苦労しながら乗る。ゆっくりと曳く。白い泡立ち部分に巻き込まれないように注意深く浮き輪のコースをコントロールする。
一方、女房と娘達はベルトコンベアのように浮き輪に乗ってぷかぷか曳いてもらうだけなのでハラハラ、ドキドキしながらもらくちんである。
このようなゴルジュが次から次へと延々と続く。私たちのほかには若い男性の二人組みのパーティーが私たちと前後しながら登っているというか泳いでいる。一人は水中眼鏡にシュノーケルといういでたちでゴルジュの流れをものともせずにガンガン泳いでいく。見ていても気持ちが良いほどだ。彼らは私たち家族を大学ワンゲルの部活動だと思っていたらしい。それで娘に尋ねたところ家族だということがわかり驚いていた。

さて、数え切れないくらいのゴルジュの何番目かにひときわ流れのきついものがあった。ゴルジュの中は薄暗く、水も黒く見えるような廊下のトロ場からスタート、最初は左側を浮き輪にすがって浮かびながらトラバースしていくが、途中でホールドがなくなり流れが速くなる。右側は少し流れが穏やかなので、左の壁を蹴って右側へと移る。数メートル流されながら右側の壁のピンチホールドをつかむ。体が流れに持っていかれそうになるのを必死で耐える。ゴルジュの出口にはどうやら釣り人がいるようだ。
そうこうしているうちに水中眼鏡シュノーケルの若者が下流から追いついてきた。流れのきつい左側をもぐるようにして泳ぐ。ぐっとスピードが落ち流れの速さと泳ぐ速さが拮抗して止まっているようにすら見える。ここで疲れて少しでも力を抜くと流れに押し戻されてしまう。若者はさらに猛烈にスパートをかけ始めた。必死という言葉がぴったりだ。徐々に泳ぐ速度が流速を上回り、ついに右岸通しにゴルジュ出口に到達。見ている私が感動してしまった。
先ほどゴルジュの出口に見えていた釣り人は立腹して
「おまえら海へ行け馬鹿ヤロー!」
と大声を出して高巻き用の踏み跡を使って下流へと下って行った。
本当に申し訳ない次第であるが、浮き輪に水中眼鏡にシュノーケルで武装した遡行者に対して「海に行け」とは何たる絶妙な表現と感心してしまった。
一方、私のほうは3回トライして3回とも流れに押し戻された。いくら水温が高いといってもアゴまで長時間水に浸かっていると震えがくる。
「お父さん唇が紫色だよ」
と敦子が言う。
こりゃ高巻くしかないかなと準備をしていると
「ピーッ!」
と鋭く笛が鳴った。
ゴルジュを見ると二人の若者がロープを結びつけたペットボトルを投げてくれたのだ。これだけのゴルジュだから高巻くといっても大仕事が予想されるだけに、これは本当にありがたかった。ロープをむんずとつかみ私もゴルジュ出口の滝の上に上がることができた。
礼を言って若者と話をする。
「さっきの釣り人、かなり怒ってましたね」
「あはは、怒る気持ちはわかるけど釣り人だけの沢じゃなんですからまぁ仕方がないですよ」
「そこに見えるのはナイアガラの滝ですかね」
「遡行図からみるとナイアガラですね」
そうこうするうちに女房と子供達も浮き輪に乗って全員がゴルジュ出口の段差の上に集結することができた。私たちが出発しようとすると
「ザイルを落としちゃったんですよ」
という。ゴルジュの出口で左から右へと横断した時に激しい水流を浴びざるを得ない。この水圧でザックにくくりつけていたロープが叩き落とされたようだ。ゴルジュの底に沈んでしまったロープをこれからもぐって回収するつもりらしい。こんな場所で潜るとは大変な労力にちがいない。
先に行かせてもらう。ナイアガラの滝は右端の階段状を越える。この上も更に泳ぎのゴルジュが続く。いったいいつまで泳がなければならないのかと嫌気がさしてくる。
滑り台状の樋のあるゴルジュは泳いで越えるが20mトラロープでギリギリの長さ。女房に足場を移動してもらい何とかクリアする。おそらく、これがガイドブックに「抜け口は足元がつるつる」との記述がある最後のゴルジュであろう。このゴルジュに続いて次のゴルジュが控えている。というよりも手前のゴルジュと一体になっている40mのゴルジュと捉えても良いかもしれない。
さて単独のゴルジュと仮定すれば長さは約20m。途中の岩を中心として上下に分かれている。下流側は流れはきついものの深いトロになっており右側の水面ギリギリに水平バンドがある。上流側は出口の段差から流れ込む水流でゴルジュ全体が白く泡立っており、こちらは泳ぐことは論外である。泡では浮力がつかないから窒息してしまう。下流側の10mは右側の易しい水平バンドをトラバースし、上流側10mへさしかかるところで右の壁に這い上がって抜ける。
これを越えるとようやくゴルジュは終わり平凡な河原になる。しばらく行くと大常木谷が右側から入り込み、私たちの遡行終了点が近づいてきたようだ。
狭いゴルジュにいたので気がつかなかったが雷雨が近づいているようだ。雷鳴が聞こえ夕方のように暗くなった。大常木谷出合からしばらく歩いて、そろそろ大常木谷下降点への登り口がある頃だと注意深く見ながら歩いていく。地形図でも顕著に表現されている沢が鋭角に屈曲する地点までくると、沢の左上部に林道の土砂崩れ防止用のモルタル壁見える。ずいぶん深い谷かと思っていたが谷底から林道までさほど標高差はないようだ。ここから沢を離れて注意深く左の斜面を登る。夕方のように暗くなっていたので目印のビニールテープも発見することができず、登り始めは踏み跡も交差しているのでわかりづらかった。ちょうどシュノーケルの若者二人が追いついてきて、ここで良いことを知った。50mも登ると踏み跡は明瞭となり雷雨に打たれながら20分ほどで一ノ瀬林道の大常木谷下降点にでた。
さっそくドブ臭くなったネオプレーンタイツを脱ぎ捨て、半袖のサッカー生地のシャツに着替えて車のエンジンを始動する。運転席のパネルの温度表示を車外に切り替えてみると21℃。下界は30℃を超えていると言うのに何と言う涼しさ。
これではゴルジュの水泳でくちびるが紫色になるはずだと納得した。


ゴルジュ用フロート考
今回はゴルジュ通過の新兵器「浮き輪」を持ってきた。今までザックをフロートにしたりライフジャケットを持ち込んだりしたことはあったが、浮き輪は始めてである。
アゴがやっと水面に出ている程度だとゴルジュの泡立ち部分で窒息してしまう。その点浮き輪だと浮力が強いので腕で浮き輪を下に押し付けると胸あたりまで水面上に体を浮かせることができると考えたのである。しかも軽い。
結果として今回のような激流の少ないゴルジュでは有効だったが、流れの激しいゴルジュでは水の抵抗が大きすぎて浮き輪がパンクするであろうことは容易に想像できる。
なお、ザックをフロートにすると相当厳重に防水対策をしていてもビニール袋の中まで水浸してしまうことが多いが、今回も私のザックは曳航されることが多かった為、同様の次第となった。


ゴルジュ用ロープ考
大きな沢を遡行していて、ロープが底石に絡まってひやりとしたことはないだろうか。私も何度かそのような経験をしたことがある。
流れの速いところで渡渉に失敗した時に確保したロープをそのまま保持していると渡渉者はどうなるだろうか。まちがいなく溺死である。これで会の大木さんが溺死しそうになった。
従って下流に致命的な滝のない限り渡渉に失敗した場合にはロープを開放することになる。もちろん3人以上のパーティーであれば岸に引き寄せる為のバックアップロープを左右に別途用意することができるが、二人パーティーであればまちがいなくロープを開放するしかない。繰り返すが開放しないとパートナーは水深50cmでも溺死してしまう。これが理解できないと次の話も理解できない。
さてロープを開放したとしよう。その時、開放されたロープが底石に絡まってロックしてしまったらどうなるだろうか。確保しているのと同じで溺死するしかない。しかも人間が確保しているのではないのでロープのロックを外すこともできない。見ている前でパートナーは溺死するのである。
この危険を最小限にするための方策の一つは底石に絡みにくいロープを使用すると言うことだろう。ロープが底石に絡むのはロープが沈むからである。つまり水に浮くロープが求められる。そこで比重が水よりも軽いロープを探した。インターネットで調べるとさまざまなロープの解説を入手できるが今回はトラロープを採用。
このトラロープを浮き輪の曳航に使用したのである。浮き輪の曳航という目的に対しては結果はまずまず満足できるレベルのものであったが、トラロープは水に浮くというメリットがあるだけで、標識用ロープであることを忘れてはならない。
トラロープは岩角でのせん断に弱く、摩擦に弱い。つまりトラロープにぶら下がって振り子トラバースなどを行えば岩角でロープが切れると思っておいた方がよいだろう。
あくまでも浮き輪を曳いたり、渡渉の確保手段の範囲内での使用にとどめておくべきである。従って懸垂下降や岩場の確保用に別途クライミングロープを持参したことはいうまでもない。
トラロープに関する考察は次のサイトの情報が参考になったので紹介しておく。
フカセジャパン 特集:安全について考える


ゴルジュ突破の最強装備
以前使用していたライフジャケットがやはり一番だと思う。今回浮き輪の水流での動きを見ていると水の抵抗が大きすぎて激流では使い物にならないと想像できる。また浮き輪から投げ出されたり、パンクしたりすることもあるだろう。そう考えるとライフジャケットが最強ということになろう。
さらに長時間、低水温に耐えるためにはネオプレーンのタイツも考えるべきだろう。
その上で水中眼鏡とシュノーケルの採用を考慮しても良いかもしれない。ただしシュノーケルは窒息の危険性が高いと指摘されており使用にはそれなりの覚悟が必要なことは言うまでもない。
そして手には大型のフックを持ちたい。もちろんフックにはスリングをつけて手首に回してこれで岩のシワを引っ掛けて激流の抵抗に抗いながら水中をへつって行くのである。
このように考え、記述していくと谷川岩魚名人の装備に極似していることにあらためて気がつくのである。


匂う
今回、丹波川本流に家族で行く計画を細田浩さんに相談した時に曰く
「難しくはないんですけど、匂うんですよ」
「匂う?」
「ほら上流に民家がたくさんあるでしょう」
「・・・」
思わず沈黙してしまった私。
今回の一ノ瀬川本流はどうだったかと言うと、やはりドブのような匂いがします。ハッキリ言うとドブの中を遡行しているような錯覚にとらわれることがたびたびありました。上流に民家がたくさんあって汚水を流しているのですからしかたがありません。
おぼれて水を飲まなくて良かった。
この記述、一ノ瀬川本流に憧れている人が読んだらガッカリするだろうなぁ・・・でも本当です。
とはいっても、増水すれば汚水も薄まって匂いも気にならなくなる?かもしれませんね。


四街道発3:30
(八王子IC・青梅経由)
山梨県丹波山村6:20
三条新橋6:30
大常木谷下降点着6:40、発8:00
一ノ瀬川本流遡行開始点着8:40、発9:00
ナイヤガラの滝12:36
大常木谷出合の先の中洲着14:05、発14:30
大常木谷下降点着15:09
(丹波山村・上野原IC経由)
四街道着18:45

利用ガイドブック=白山書房2000年5月10日発行「東京周辺の沢」


参加者:賀来朋子(高校1年)、賀来敦子(高校3年)、賀来幸子、賀来素明